院長 柔道整復師田口 誠二 たぐちせいじ

院長の田口です

はじめまして!国分寺整骨院の院長の田口誠二と申します。

私の最も大切にしている価値観は「患者さんのお体の不安を自信に変える」です。

体と心に負ったキズ

というのも、子供の頃に思いがけないケガの経験をしたことがきっかけです。
それはある不運な事故によるケガで顔の形も変わり体中の痛みに耐え、もうこのまま一生治らないのではないか、ひょっとしたら命にかかわるのではないかという不安に苛まれていたことでした。

そして幸運にも時間とともにケガは快方に向かい学校にも通うことができるようになりケガ自体は完治したのですが、そのケガを境に自分自身に対する自信が無くなってしまったように思います。私にとってはそれほどの出来事だったわけです。

今でも残る顔の傷が当時はとても気になりましたし、周りからはなるべく目立たないように生活していた時期もありました。しかしながら様々な仕事に関わり人生経験を積むごとに自分への自信を少しずつ取り戻していくことができたように感じます。いろいろなアルバイトや仕事を経験し、40歳を前に柔道整復師の資格を取得するために夜間の学校へ通ったこともすべて自分への自信を取り戻すためのものだったのかもしれません。

もちろん今は患者さんに自信を持って施術に当たることができますし、私自身が負ったケガによる精神的な不安を克服した経験から、もう治らないのではないか、一体どうすれば良くなるのかなどの患者さんの不安をしっかりと受け止めることができるようになりました。

ここで少し自己紹介をさせていただきます。
私の出身は北海道札幌市です。
サラリーマン家庭の4兄弟、上から3番目の次男として1970年の9月に生まれました。
現在は香川県に在住しています。

子供の頃は父の仕事の転勤が多く、中学校2年生の頃に香川県の高松市に引っ越してきましたが、それまでに小学校は3カ所、中学校は2カ所の通学を経験しています。
元来人見知りでしたが、父の転勤に伴う「転校生」という経験が今の仕事に生かされているのかもしれません。

スポーツの経験としては、中学校、高校、大学と長い間バスケットボール部に所属していました。経験がとても長いのですごく上手みたいな感じがしますが、全て弱小チームで華々しい実績はありません。しかし中学と高校では一生懸命に練習しましたし、大学では楽しく続けることができたように思います。

そしてもともとは整骨院にかかわるようなお仕事ではなかったのですが、経験した職業についてはアルバイトも含めるととても多くなります。

高校1年生の時に初めてのアルバイトが時給420円のレストランの皿洗いや厨房補助でした。その後、有名ハンバーガーチェーン店、商店街でのビラ配り、レンタルビデオ店の店員、真夏の真夜中の運送会社の荷物の仕分け、真冬に1日中洗車、喫茶店のウェイター、パブ、スナック、ラウンジ、コンサート警備、イベント設営、アパレル店員、ビアガーデンスタッフ、コンビニ、遺跡の発掘、研究施設の補助作業を経て、高校から大学までの7年間の学生時代最後の一年間に続けたのがスポーツクラブのインストラクターのアルバイトでした。

そのスポーツクラブでの一年間で人間の体、トレーニング、怪我、体のケアなど実際の人に触れる機会が多くあり興味深い世界だと感じました。

しかし卒業後初めて正社員として就職したのは全く畑違いの営業職。一般の家庭に伺ってお話をして商品を勧め、店舗へと来ていただいて商品を販売するというお仕事を社会人1、2年生のころにしていました。
初めての仕事というのは自分に与えた影響は大きく、公私共にお世話になった上司の言葉は今でも覚えています。

「相手と真剣に話をすれば大抵は問題解決の糸口が見つかる。逆に話をしなければ解決からは遠ざかるだけだ」

コミュニケーションの大切さを教わったとても濃密な2年間でした。
その会社を退職後に知人の紹介があって、住宅設備設計事務所に再就職いたしました。初めて扱うパソコンと設計図、そして重機や溶接作業などの現場作業にも従事するようになり環境は一変したのでした。ここでのちの仕事に大きく影響する「図面を描く」ということに関わるのですが、現場作業のウェイトが大きくなり体を壊し退職。

すでに結婚していたため生活のためにアパレル関係の営業をしながら設計の仕事を探しました。
そして地元で機械設計事務所の募集を見つけて応募。水門関係や橋梁関係の設計の仕事に就き、また一から設計を学ぶことになりました。
ここでは10年間以上お世話になりまして、この間に二人の娘が誕生。

しかしこの会社ではほぼ徹夜の仕事があったり、休みは週に一回あればいい方で一日多いときは19時間椅子に座りっぱなしということもあって腰を傷めておりました。もちろん精神的にも・・・。
これではいい仕事はできないし、体を壊しては元も子もないということで36歳で同じ会社の先輩とともに独立。独立の際は10年以上お世話になった会社にも後押しをしていただきました。

独立後はさすがに一日19時間というような仕事の仕方はしませんでしたが、1ヶ月半休みなしの状態だったり、今まで設計図を描く職人として働いてきただけに資金調達、経理、人事、営業などの会社経営はとても難しい問題ばかりでした。
そして傷めていた腰もさらに悪化し、整形外科や整骨院の受診を続けながらの勤務。

水門や機械の構造を設計していたそのころ、

自分の体の構造について勉強してみたい
どうすれば腰の症状が良くなるのか知りたい
痛みの不安からどうすれば逃れられるのか知りたい
巷で溢れている健康情報は何が正解なのか知りたい

などと思うようになりました。

その想いが日増しに強くなり、会社の社長や家族を説得して40歳を前に夜間の専門学校へ入学。
昼間は仕事を続けながら夜の6時から10時まで3年間毎日学校へ通いました。
入学後は同じクラスの18歳から50歳くらいまでと幅広い年齢層の人たちと同じ目標に向かって一緒に勉強することになったのですが、夜間のクラスは昼間部のクラスに比べて勉強熱心な人が多かったです。

勉強で若い人たちには負けたくなかったので、勉強の量は半端なかったと思います。
結果、上下はしましたがクラスで成績はトップを何度も取りましたし、一日に12時間勉強し述べ5万問の問題を解いたこと、国家試験間際の最終の模試では昼間部のクラスと合わせて学校で一番となったのはいい思い出です。

その後無事に国家試験に合格することができましたのも、恩師や仲間たちとの時間があったからだと思っています。
そして国家試験合格後は短い期間でしたが師匠のもとで開業のための修行をすることになりました。
10数年ぶりの接客、しかも医療施設での仕事はとにかく勉強の毎日でしたが、師匠や他のスタッフにも恵まれて様々なことを学ぶことができました。
まさにゼロからの再出発だったと思います。

そして目標だった開業も後押ししていただき、2014年6月に「国分寺整骨院」を開業いたしました。

田口誠二

このように自分のケガや体のことを学びたいという想いから始まり数年がかりでようやくたどり着いた開業という「スタートライン」ですが、大人になってからの学生生活や修業先での患者様とのふれあいによって、体のことで悩む方々の不安をどうにかしてあげたい、何か役に立ちたい、自信にあふれた生活へのサポートしたいという考えがやはり強くなりました。

そこで国分寺整骨院は土日祝日はもちろんお昼休みも無しで開けることにしたのです。
それは開業した地域には昔からの接骨院や地元の方々に愛されている接骨院が多くあったため、新参者の私が休むわけにはいかないと思ったのもありますし、痛みや不安には休みは無いからです。

おかげさまで平成30年6月で開業してから丸4年を迎え、当初の3年間はお盆も正月も休むことなく毎日開院することで少しでも患者さんのお役に立てたのではないかと思っております。

そして過去にお世話になった会社や上司、同僚、また様々な仕事の経験が全て私の人生の糧になっていると思いますし、周りの方々がいたからこそ今があると思います。

しかしながら開業したと言ってもまだまだ勉強中の身。仕事が終わった後に地元の勉強会に参加したり、兵庫県や大阪でのセミナーや定期的な勉強会に積極的に参加させていただきながら、もっともっと患者さんの不安を自信に変えるお手伝いができるように努力してまいります。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

院長 田口 誠二

(柔道整復師 田口誠二 監修)